誰にも伝わるように心がける
先日の記事でも発言しましたが、作業指導書や仕様書を作成する事は、重要な事だと思います。
利益を出す必要があり、実作業に集中しなくてはならない気持ちも、わからなくはないですが、
作業者全員に、正確な情報を行き渡らせるという意味では、
1日かけてでも作る必要があるほどに、重要な事だと思います。
しかし、仕様があれこれ変更されているにも関わらず、
資料が改定されず形骸化していると、作業を行っている人も
その資料が現在行っている作業のものかどうか疑問に持ち、
果ては資料の存在価値そのものを疑い、中途半端な認識であっても、
資料を見るよりも実作業を行ったほうが早いと考えてしまいます。
また、時間制限のあるライン作業などにおいては、指導書の通りに行っているにも関わらず、
どうしても間に合わないというような事態が発生した場合、
作業者は何か「裏技」があるのではないかと勘ぐってしまい、
結果として指示にはない「裏技」を決行し、失敗を生んでしまいます。
また、資料のとおりに行ってもうまくいかないため、資料そのものを信用しなくもなってしまいます。
前置きが長くなりましたが、それらの問題が発生しないようにするためには、
もちろん信頼性があり、かつ誰にでもわかる資料を作成する事です。
特に私は資料を作成する事が多いのですが、自分の考えで書いて自己完結するのではなく、
たとえ難しい言葉で飾らなくてもいいから、読む側の気持ちを考えた文章にしようと考えます。
資料作成ではなく、お客様ともメールや電話でのやりとりを行う事もあります。
その人の詳細は申し上げあげられませんが、私が会話した人の中には、
技術者と対話した人がおり、その人は技術者の放つ言葉が専門用語まみれで理解できなかったそうです。
私は技術者としては正直未熟ですが、未熟ながらも相手が理解できる言葉を使いたいと話したら、
その人から「えらい!」とお褒めの言葉をいただきました。
専門用語を使い、相手よりも自分は賢いと誇示する自己満足よりも、
はるかにうれしいという感情が、その言葉ひとつから生まれました。
カッコ悪くてもいいから、相手に理解できる言葉を使いたい。
発言したという事実を作る事ではなく、相手に伝える事を目的としたいものです。
それは資料を読む人も、対応するお客様も同じです。
相手に伝わるようにするには、客観的な視点が大切です。
じつは最近発売されたWii Uのゲームソフト「スーパーマリオメーカー」を使用した講座が、
大阪東京の1回ずつではありますが、開催されていました。
任天堂のゲームクリエイターが直接アドバイス! 小学生向けの『マリオメーカー』を使ったゲーム講座が開催
http://www.inside-games.jp/article/2015/10/23/92353.html
また、それ以前にも、任天堂の公式サイトで、
「スーパーマリオメーカーコース作成講座 ましことヤマムラ」と題した記事が掲載されました。
https://www.nintendo.co.jp/kids/151014/supermariomaker/index.html
かなりぶっ飛んだ内容となっていますが、第一話から読む事をオススメします。
第一話では、コース作りが苦手なましこが作成した、とんでもないコースが出てきますが、
これはコース作りが苦手以前に、自己満足な人もやってしまいがちな事でもあります。
ちなみに私自身もプレイしましたが、サンプルでありながらも、
あらゆるいやらしさを詰め込んだコースになっています。
パターンを見切ればクリアできない事はなく、問題点がよく見えるので、
ソフトを持っている人は、ぜひプレイしてみる事もオススメします。
前者の講座も、プログラミングよりも、遊ぶ人の立場で考えたコース作りが主流となっています。
そもそもこのソフトは、インターフェースが素晴らしく洗練されているため、
講座を行わなくても作成が行えるのですが、
講座では技術ではなく、客観的な視点を養うように計画されています。
「スーパーマリオメーカー」では、ネット上に作成したコースを公開できるのですが、
超高難易度コースや、何も操作しなくてもクリアできる、いわゆる「全自動マリオ」のような、
マニアックなコースで溢れかえり、スタッフの人たちも頭を悩ませていたようで、
今回の講座を開設したものと思われます。
じつは、ゲームはプログラミングにも卓越したオタクな人を集めるよりも、
一般人にプログラムを教えたほうが開発が早いと言われている事もあるそうです。
オタクな人の場合は、自己満足の超高難易度なゲームに仕上げてしまうとの事らしいです。
商用ゲームでも高難易度になってしまった理由も、テストプレイヤーがテストしているうちに
うまくなりすぎて、手応えを感じられなくなって高難易度にしてしまったからだと、
カプコンの人が語っていた記憶があります。
もちろん、資料を作成するにおいても同じ事だと思います。
ただ単に自分の知識を書き留めただけの、ほかの人には理解できない資料では、
それこそ形骸化した資料と同じものです。
しかし資料というものは、教わった人が書くよりも教える人が書くほうが、より情報が的確になります。
また、口頭で伝えると、聞く人がちゃんと聞いていたとしても、
認識の違いから、やがては伝言ゲームのように情報が変化する可能性もあります。
自分で資料を書く事により、変化の少なく密度の高い資料が完成していきます。
ましてや、動作だけを教えられた人のメモをそのまま資料としたところで、
それが何に対する資料なのかすらも、わからなくなってしまいます。
なので私は、記事を書いてそれが人に伝わらないのであれば、
理解できない人が技量不足だからと考えるのではなく、
技量不足な人に理解できない資料を作成した自分が悪いのだと考えます。
そして技術を身につけると同時に、客観的な視点で物事を見る事ができ、
相手の気持ちを考慮して伝える技量も養う必要があると考えています。
そのような資料が作れなければ、自分の作業をいつまでも人に継承する事ができず、
やがて自分だけの仕事が蓄積されていく結果となってしまいます。
自分にしかできない仕事が存在するという事は、自分の存在意義を示す材料にもなりますが、
たとえ自分の存在意義が薄くなる結果となっても、
資料を作成し、誰かにそれを伝える大切さは、今まで経験した私の人生の教訓の中にあります。