困難な作業に必要なのは的確な情報

佐野

佐野 2013年9月8日

久しぶりにこのブログを書く事になります。

現在、お客様のPCを遠隔操作し、メールの設定作業を行っております。
お客様は大手で店舗の数も多く、その数800を超えます。
つまり、日本各地にある各店舗のパソコンの設定を、行う事になります。

その設定要素もじつに細かく、神経を使う仕事でもあり困難ではありますが、
こういう仕事で重要なのは、充実し、かつ的確な資料づくりも重要な要素となります。

手順を資料の通りに行えば、確かに正確な結果を出せるかもしれません。
ですがそれが、対象が常に同じ環境である事と、
整理もされていないその膨大な内容を、人が把握し再現できるかどうかが問題ですが・・・

何の整理もされておらず、ただ手順だけをダラダラと並べられても、
もし仮に問題が発生しても、その長い手順書(もしくは言われた事のメモ)を凝視し、
手順に間違いがなかったかを見直す事しかできません。
おそらくその人に問題点を聞いても、手順書の箇所に指を指す事しかできないでしょう。
その人にとっては、ただ操作をしているだけでしかないでしょうから。

資料に必要なのは、手順だけでなく何をしているのかという目的も必要になります。
手順というのは、あくまでも目的を達成するための手段であり、
仕事というのは手順を再現する事ではなく、目的を達成する事にあります。

これは個人的な意見ではありますが、正しい手順書というのは、
まず個々の目的を記しておき、それに対しての手順を書いていくことです。
こうしておけば、まず覚える事は個々の目的だけで済み、
それぞれの目的に入ったら、その手順を見ればいいのです。
人が一度に記憶する量には限界がありますので、
最終的な結果のみを目的としているようでは、
手順が膨大な量となり、混乱の元にもなります。
個々の目的ごとに、作業に区切りをつけていれば、
把握しやすくもなりますし、何をしているのかも、わかるようになります。
最終的な結果は、これらの目的の集まりでもあります。

また、こういう手順書や資料を作成したり、何らかの調査を行うに際しても、
数人で議論を交わす事もあるでしょう。
しかし、それぞれの人が出した意見は、尊重するべきだと思います。
その人が出した意見が、一見それが結論のようであるにしても、
最終的な結論ではなく、あくまでも1つの答えにすぎません。
その意見が最終的な結論になるかは、結論として決めた時点での話ですし、
まずはその話を元に調査を展開する余地があるかを問うべきではないかと思います。

問題が発生したときも、問題点とすべきなのは、
その問題の解決なのか、はたまた追求なのかを判断する事も重要です。
もし問題が解決すれば、それでよくて、
通常利用する分に関しては、別に必要のない事を調査・議論を続けても、
それはただの空回りです。

作業の話に戻りますが、ハッキリ言いますと、
資料を作る時間を惜しんでいては、きちんとした作業は出来ないと思います。

例えば、たまたま本作業ではなく、準備作業を行っている様子を見て、
「サボってたらあかんで」等と声をかけられては、
モチベーションの低下にもつながりますし、
準備を疎かにしてしまうという事も考えられます。

また、仕様書はあったにしても、それも古く、
数々の仕様変更もされた現在の物と見比べても、
大幅に異なっている点が多く、ただ存在するだけの仕様書になってしまい、
また、その見直しさえやっていないという状況では、
作業の効率化も図れるわけもなく、新しく作業をする人も不安がるのも当然です。
本作業しか見れないようでは、ちゃんとした仕事なんて無理なんです。

なので、たとえ資料や検証にやや時間を割いてでも、
少しずつ効率よく、かつ失敗を取り戻すのも難しくない
環境を作る事も大切だと思います。
実際、今行っている作業も、まだまだ件数は残っています。
だからこそ、資料の充実化を図りつつ作業を行っていきたいと思っています。